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機関誌

機関誌内容一覧

平成23年01月01日


平成23年01月01日
「見て欲しい宮崎の頑張り」

~県立都城農業高等学校~
今年10月に北海道で第13回全日本ホルスタイン共進会が開催される。「全共に行こう」と数年間努力を重ねている学校が全国に多くある。宮崎県立都城農業高等学校もその一つである。ところが去年大きな嵐の中に巻き込まれた。幸いにも嵐は去り、牛たちは残った。今、去年の全てのことを心に刻み、新たな気持ちで目標に向かって励んでいる。昨今の同校の様子を藤久保琢也先生に紹介していただいた。
地域に根ざし90年の歴史
大正5年、郡立農学校として発足した本校は都城盆地のほぼ中央部に位置し、農業高校として90余年の歴史を持つ伝統校です。農業科、畜産科、ライフデザイン科、食品科学科、農業土木科の5つの専門学科があります。
各学科ともに危険物取扱者・ワープロ検定・簿記検定・農業検定などの資格取得に力を入れており、将来の進路を見すえながら充実した学校生活を送れます。
また、生徒全員が部活動に加入して活動しています。
平成21年度の卒業生191名の進路は、民間企業46%、専門学校27%、短期大学11%、4年生大学10%、県農業大学校2%、公務員2%、自営2%となっています。農大や農業関係の企業に就職して、最終的に後継者となる生徒は全体の5%くらいです。
日々逞しさを増す生徒たち
畜産科では乳牛、肉用牛、豚、鶏の飼育や経営、飼料作物の栽培について学習しています。実習は学校から3.5㎞離れた三股牧場(10ha)で行います。生徒たちは雨の日も風の日も一生懸命自転車をこいで来ます。
乳牛舎はフリーバーンで、パーラは4頭単列タンデム式、搾乳頭数は平均16頭です。1頭の1日あたりの平均乳量は30㎏です。コーンサイレージとイタリアンのロールを作っています。
総合実習は、乳牛、肉用牛、養豚、養鶏、飼料作物・小動物の5つの専攻を、1、2年次は5班に分かれてローテーションで学習し、3年次には、自分で専攻を選んで実習・研究を行います。1、2年次に週2時間、3年次に週4時間のほかに、放課後や長期休業中の時間外実習もあります。
3年間積み重ねることで、生徒たちはたくましくなり、自ら考えながら効率よく作業できるようになります。2人でやっと運んでいた乾草も、3年生になれば1人で軽々持ち上げられるようになります。牛から逃げていた生徒も速やかに搾乳室まで追えるようになり、ミルカーも当初の3分の1程度の時間で装着が完了。何よりも、上級生になるにつれて笑顔が増えてくるのが良いですね。
将来、どんな職場に就いても畜産科で身につけたことを生かしてくれるものと思います。
昨今の畜産科は、近年のペットブームの影響で女子が増え、現在は男女半々となっています。こうした傾向は今後も続くと考えられますが、ペットも家畜であり、人間は家畜の犠牲なしには存在しえないということを教え、そして、生かされていることへの感謝の気持ちを育んでいきたいと肝に銘じております。
輝かしい畜産研究班の活躍
わが校の酪農部門では平成17年には県共進会で優等賞主席を獲得し、栃木全共に未経産牛を出品しました。その後の県共進会では18年に優等2,3席を、19年には優等賞入賞を果たしています。
これらは全て、「畜産研究班」という部活動の生徒たちが日々調教や手入れに励んだ成果であります。昨年予定されていた北海道全共に向け、2年前に1頭選抜し、管理を進めてきました。当時の2、3年生は「1年生を北海道に行かせてその場で同窓会を」という合い言葉で、後輩たちのためにがんばってくれました。そして幸運にも全共に行ける世代、現1、2、3年生は「北海道に行こう」を合言葉に、管理・調教に励んできました。特に当時1年生だった現3年生の全共にかける思いは並々ならぬものがあり、2年間、とてつもない時間と情熱を注いできました。牛ばかりでなく自分たちの技術も向上させようと数々の大会に参加、あるいは見学し、経験を積んできました。学校へプロを招いて勉強もしました。見る目を養い、バリカンの扱いにも慣れ、迅速な行動ができるようになりました。
言葉に絶するあの恐怖と不安
5年分の生徒の思いが結実しようかという平成22年4月。あの悲劇が静かに幕を開けたのでした。
我々職員はすぐ10年前のことを思い出しましたが、生徒たちはその頃まだ小学生や年長さんでした。初めて耳にする言葉であり、そのニュースさえ知らない生徒もいるぐらい、遠い所での話だと思っていたようでした。
しかし、それが家畜市場の中止、地域共進会が中止、各種イベントの中止と影響が拡大するにつれて少しずつ事の重大さが分かってきたようです。
私達は何度も思いました。「目に見えるものならいいのに・・・」と。
しかし、目には見えない何か巨大なものが少しずつ迫ってくる恐怖は言語に絶するものでした。全共中止の知らせが来た頃には、既に生徒の意識はそれよりも「どうかこれ以上広がりませんように」という願いと恐怖で押しつぶされそうになっていました。そんな我々の不安をあざ笑うかのように、不気味な早さで拡大していったのでした。
「畜産物生産高全国トップ都城市に飛び火」この知らせを受けたとき、頭が真っ白になったのを覚えています。
わが学校と生徒たちは
翌日から、生徒のいる学校と畜産科職員のいる付属牧場(以下牧場)とは、完全に行き来を遮断されました。めったに雪の降らない宮崎ですが、牧場は石灰で一面銀世界。しかし、そこに足跡をつける生徒はおりません。生徒の声が消えた牧場は、まるで主役を失った舞台のようにひっそりとしていました。発生農家の近隣に住む生徒、ならびに牛・豚を飼う家の生徒は登校そのものを自粛しました。毎日、自宅で消毒作業の繰り返し。買い物にさえ出なかったそうです。
畜産科では教科担任が学校へ行けないため、生徒の専門教科は全て自習になりました。毎日毎時間、牧場から学校へFAXで自習課題を送りました。1日中自習という日も何度かありました。日頃、自習となればまじめに取り組まない生徒たちですが、このときばかりは黙々と取り組んでいたそうです。そんな、学校で頑張ってくれている生徒の顔を思い浮かべながら、我々職員も毎日必死で消毒を行っていました。頭まですっぽり被った防護服での作業。中には下着一枚だけしか着ていませんでしたが、それでもサウナのように暑く、何度もめまいがしました。その日々でも感染拡大はいっこうに止まりません。共進会のライバル高鍋農業高校からは生徒どころか牛・豚の声さえ消えてしまいました。
人々の温かい心を忘れない
牧場に感染したらどうしよう、牧場の牛たちは大丈夫か、いつになったら終わるのか。畜産科職員に会えず、クラス担任にも会えず、ただ想像の中だけになってしまった牧場や牛たちの安否を気遣い、生徒たちがどれほど不安な状態にあったことか、計りしれません。
ある夕方、自宅近くでばったり生徒に会いました。畜産研究班3年生、全共があればリードマンになったかもしれない女の子でした。学校と牧場とで隔絶されているはずの私に会ってしまって、近づいてはいけないと思ったのでしょうか、目をふせてそのまま足早に通り過ぎようとしましたが、ふと立ち止まり「先生、牛たちを守ってくださいね」の一声。悲痛を帯びた目から涙が溢れていました。
3週間たって、クラス担任をしている私ともう1人の職員だけ学校へ行けるようにし、代わりにこの2人は牧場出入り禁止となりました。2人で、畜産科1~3年生全ての専門授業をなんとか切り盛りしました。
牧場に残っていた全職員の行き来が解除されたのはそれからさらに3週間後。県民一丸となった粘り強い努力と全国からの励まし、そして29万頭の犠牲のおかげで本校の牛・豚たちは無事でした。そして都城市で発生して3ヵ月経った8月、生徒の明るい声がまた牧場に戻ってきました。
全てが元通りとはいきません。まだまだ、大きな尾を引いています。牧場に戻ってきた生徒が日誌に書いていました。「私はこのことを一生忘れません。」
誰も忘れはしないでしょう。それは、一言で言えば「地獄」のような日々と、ご支援いただいた日本中の人々の温かい「心」。決して忘れません。
それらを全て背負って私達はまた全共を目指します。5世代ではなく、今度は6世代分の思いを込めて、宮崎のがんばりを全国の皆さんに見ていただきたいです。